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アール・ブリュットと障害者アート

アール・ブリュット(Art Brut)は、1945年頃からジャン・デュビュッフェが関心を持ち始め、1947年に初めて“Art Brut”の語を使用、1948年に協会設立とともに広く提唱した概念で、「加工されていない生の芸術」と訳されます。美術教育や美術界の評価とは無縁の、衝動的かつ内発的な創作に真の芸術性を見出す考え方であり、精神疾患を持つ人々や孤立した環境にある人々の自由な表現が重視されます。
19世紀にはすでに、精神科医が患者の描いた絵を観察資料として収集しており、特にハンス・プリンツホルンによる『精神病者の芸術』(1922)は、制度や常識に縛られない創作の価値を見出し、後のデュビュッフェによるアール・ブリュット概念形成にも影響を与えました。
アール・ブリュットは「誰が描いたか」ではなく、「どのような表現がなされたか」に注目します。社会的立場や障害の有無に関係なく、表現の純度や強度が評価の基準となります。こうした姿勢は、デュビュッフェ以前からピカソやアンリ・ルソーといった近代美術家が関心を示しており、非アカデミックな表現とも共鳴します。
一方、「障害者アート」は主に日本で使われる用語/概念で、障害のある人々による表現活動を広く捉えるものです。1980年代後半から使われ始め、1990年代にかけて広く定着。障害のある人々の創作が社会参加や自己表現の一環として注目されています。ここでは芸術性とともに、創作がもたらす心理的充足感や社会的つながり、経済的支援といった福祉的意義にも焦点が当てられています。
障害者アートには、アール・ブリュットに該当する自由で内発的な作品もあれば、美術教育を受けたアーティストによる技巧的な作品、支援者と協働して制作されたプロジェクト型の作品など、多様な形態があります。作品の背後には、それぞれの生き方や支援のあり方、社会との関係性が深く関わっており、その背景に目を向けることが重要です。
アール・ブリュットと障害者アートは重なる部分を持ちつつも、評価の軸が異なります。アール・ブリュットは「表現の質」に、障害者アートは「表現活動全体の社会的意義」に重きを置きます。現代において芸術は、「誰もが表現する存在である」という価値観のもとに拡張されており、両者の実践は、共生社会の実現に向けた重要な文化的手がかりとなっています。

障害者アートに関するリンク

​障害者アートの代表的アーティスト

※図像に関しては著作権の問題で記載のあるリンクとなっています
パブリックドメインとなっている作品については順次掲載予定です

ヴェルフリのイレン・アンシュタルト・バンド・ヘイン、1910
作者名:Adolf Wölfli(制作)
画像タイトル:Irren-Anstalt Band-Hain, 1910(WolfiBandHainLarge.jpg)
公開場所:Wikimedia Commons
ライセンス・画像権利:パブリックドメイン

画像情報
作者名:stephane333(Flickr)
画像タイトル:LAM Villeneuve d'Ascq (48614180332).jpg
公開場所:Wikimedia Commons
ライセンス名:CC BY-SA 2.0
ライセンスリンク:https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.0/

​アウトサイダーアートの代表的アーティスト

アールブリュット、アウトサイダーアート、障害者アートを
取り巻き影響しあうものたち

ビジョナリーアート(Visionary Art)
幻視、夢、神秘体験、宗教的啓示など、内的ビジョンや超常的体験をもとに制作される芸術を指します。現実の再現ではなく、精神世界や宇宙的真理の象徴表現を目的とし、神秘思想、シャーマニズム、瞑想、薬物体験などと結びつくこともあります。色彩やディテールに富んだ幻想的な作風が多く、20世紀以降はアレックス・グレイやエルンスト・フックスらが代表的作家とされています。伝統宗教やスピリチュアルな世界観を背景に持つため、単なる幻想美術とは区別され、しばしばアール・ブリュットやアウトサイダーアートと並び、制度外の芸術として評価されます。

ナイーブアート(Naïve Art)
正式な美術教育を受けていない人々によって描かれる素朴で直感的な芸術表現を指します。遠近法や解剖学的な正確さにとらわれず、独自の視覚感覚や色彩感覚によって自由に描かれるのが特徴です。技術的未熟さではなく、むしろ意図的な単純化や純粋な感性が評価されます。代表的作家にはフランスのアンリ・ルソーがいます。ナイーブアートはしばしばアウトサイダーアートやアール・ブリュットと混同されますが、精神疾患や社会的隔絶を前提としない点で異なります。素朴ながらも詩的で幻想的な世界を描くナイーブアートは、近代美術において独自の位置を占めています。

フォークアート(Folk Art)
特定の地域や民族に伝承されてきた、民衆による生活に根ざした芸術・工芸を指します。専門的な美術教育を受けていない人々が、日常生活の中で育んできた装飾や実用品が多く、手工芸、刺繍、木工、陶芸、祭礼用具など多岐にわたります。宗教的信仰や風俗、季節行事に根ざしたモチーフが多く、実用性と美的感覚が融合しているのが特徴です。近代になって美術界でもその素朴さや地域性が見直され、民族学や民芸運動の中で再評価されました。柳宗悦の民藝運動などもその一環といえます。フォークアートはアートと生活の境界を越えた文化的表現として、世界各地で重要視されています。

プリミティブアート(Primitive Art)
近代西洋の美術史において、アフリカ、オセアニア、南北アメリカ、アジアなど非西洋社会の伝統的な造形物に対して使われた呼称です。宗教儀式や呪術、共同体的意味を持つ仮面や彫像、装飾品などが含まれます。19〜20世紀初頭の西洋美術において、ピカソやマティスらがプリミティブアートに強い影響を受け、形の単純化や象徴性を模倣しました。ただし「プリミティブ(原始的)」という語には植民地主義的・差別的なニュアンスがあり、現代では「先住民アート」「民族美術」などの表現がより適切とされています。現在は文化人類学やポストコロニアル研究の文脈でも再評価が進んでいます。

エイブルアート(Able Art)

障害のある人々が持つ「できる力(able)」に注目し、その創造性を社会に活かすことを目的としたアート活動の概念です。1990年代半ば、日本財団らの活動を契機に広まり、障害のある人の表現活動を社会に活かす取り組みを指します。 福祉の枠を超えてアートとしての価値を正当に評価しようとする動きの中で生まれ、美術作品に限らず、デザイン、パフォーマンス、ワークショップなど多様な形で展開されています。障害のある人と社会との新しい関係を築く手段とされ、障害者アートが「障害」に焦点を当てるのに対し、エイブルアートは「表現者の可能性」に焦点を当てるのが特徴です。自己表現と社会参加の融合を目指す現代的なアート実践として注目されています。

「障害者文化芸術活動推進法」
2018年に施行された法律です。文化芸術基本法と障害者基本法の理念に基づき、障害の有無にかかわらず誰もが文化芸術を鑑賞・参加・創造できる社会を目指します。具体的には、障害のある人の文化芸術活動の機会拡大(鑑賞、創造、発表)、芸術的価値が高い作品の評価・保護、相談体制の整備、人材育成、施設のバリアフリー化などを国や地方公共団体に求めています。この法律により、障害のある人の個性と能力の発揮、社会参加の促進が図られ、共生社会の実現に向けた文化芸術の役割が明確に位置づけられています。

美術の潮流とアール・ブリュットの年表(ざっくり)

19世紀末〜20世紀初頭:美術史の潮流:
印象派、ポスト印象派、象徴主義など、伝統的なアカデミズムからの脱却が始まる。


アール・ブリュット関連:精神医学における関心:
精神科医たちが、患者の描画を研究対象とする(ハンス・プリンツホルン『精神病者の芸術』1922年など)。


前衛芸術家からの注目:
フォーヴィズム(マティスなど)、キュビズム(ピカソ、ブラックなど)の萌芽期を経て、ドイツ表現主義(キルヒナー、ノードケなど)やシュルレアリスム(ブルトン、ダリなど)の画家たちが、子どもの絵や精神病者の描画、プリミティブ・アートに独自の創造性を見出す。既存の芸術規範からの脱却を模索する中で、アール・ブリュットの根源的な表現力に共鳴。

 

1939年 ~ 1945年:第2次世界大戦

1945年頃:美術史の潮流: 第二次世界大戦後、抽象表現主義(ポロックなど)やアンフォルメル(デュビュッフェ自身も関与)など、非定形的な表現が台頭。

アール・ブリュット関連:
ジャン・デュビュッフェによる提唱:
フランスの画家ジャン・デュビュッフェが、既存の芸術文化から影響を受けていない、内発的な衝動から生まれた作品を「アール・ブリュット(Art Brut)」と命名。


アール・ブリュット・コレクションの収集開始:
デュビュッフェが精力的に作品を収集し始める。

1948年:アール・ブリュット関連:
コンパニー・ド・ラール・ブリュット(アール・ブリュット協会)」設立:
デュビュッフェがアンドレ・ブルトンらと共に設立(後に解散)。

 

ベトナム戦争:1955年~1975年

1960年代後半〜1970年代:美術史の潮流:
ポップアート(ウォーホル)、ミニマリズム、コンセプチュアル・アートなど、多様な表現が展開。
芸術の定義が拡張される。

アール・ブリュット関連:1967年:
「アール・ブリュット・コレクション」をローザンヌ市に寄贈:
デュビュッフェが収集した作品群をスイスのローザンヌ市に寄贈。

1971年: 「アール・ブリュット・コレクション(Collection de l'Art Brut)」開館:
ローザンヌに世界初のアール・ブリュット専門美術館が開館。

1972年: ロジャー・カーディナルによる「アウトサイダー・アート」提唱:
イギリスの美術批評家ロジャー・カーディナルが、アール・ブリュットの概念を英語圏に広めるため、「アウトサイダー・アート(Outsider Art)」という言葉を提唱。


1980年代以降:美術史の潮流:
ネオ・エクスプレッショニズム、インスタレーション、メディアアートなど、表現がさらに多様化し、ジャンルの横断が進む。

アール・ブリュット関連:国際的な展覧会の増加:
アール・ブリュットやアウトサイダー・アートに特化した展覧会が世界各地で開催されるようになり、市場でも注目され始める。

1990年代以降の日本:美術史の潮流:
ポストモダン、現代アートのグローバル化。

アール・ブリュット関連:

「障害者アート」概念の広がり
障害のある人々による多様な表現活動全般を指す包括的な概念で、芸術性だけでなく、創作による心理的充足感や社会参加、経済的支援といった福祉的意義にも焦点を当てた概念として1990年代から定着。

 

「エイブルアート」
「障害のある人たちの可能性の芸術」として提唱され、障害者アートの文脈でアール・ブリュットへの関心が高まる。

21世紀:美術史の潮流:
より一層の多様化、社会包摂的なアート実践、テクノロジーとの融合。
アール・ブリュット関連:現代美術との接点の拡大: 現代美術の多様な表現形態の一つとして、アール・ブリュットが改めて位置づけられ、ヴェネツィア・ビエンナーレなどの主要な国際展でも紹介される機会が増えている。これにより、既存の芸術ヒエラルキーに新たな視点を提供している

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